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なんで書くんか? [たまごの本棚]

言葉と無意識

言葉と無意識

  • 作者: 丸山 圭三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/10
  • メディア: 新書

ごぶたさたしました。さして理由があったわけでないですが。遠出をしていた、とか病んでいた、とか書くネタがなかった、いうわけでなくて、単にあまり気乗りしなかった、とだけのことで、まさしく気まぐれブログを実践させていただいたわけぇす。ちなみに昨日がブログ開設1周年だったらしいですが、記念日にもかかわらず、金曜ロードショーで大好きな『ゲロッパ!』をやっとったもんで、ついついサボってしまいました。えらいすんません。今日は久々に気が向いたので、書きますで。

ま、そもそも。ここ最近思うようになったことですが、文章というのは好き好んで書くもんでないような気がすっです。必要に迫られて書くもの、といいますか。ちゃなこと言うと、泉下の恩師に叱られそうですけどなー。

「キミねぇ、まだわかってないの?人間っていうのはね、動物みたいに本能的欲求だけでは生きていけないんだよ。文化的欲望ってものがあるじゃない。エクリチュール(書くこと)は欲望の産物ですよ」

いえいえ、先生。不肖の弟子ながら、先生の教えを忘れたわけではございませんゾ。どえらい簡単に言ってしまいますけど、先生のおっしゃっていた「本能的欲求」というのは生存的欲求なのですね。つまり、これなくしては生命そのものが危険に晒されるという。たとえば、メシを食うこと。

けども、人間というのはただ栄養学的に必要不可欠なカロリーを摂取することだけに満足できなく勁勁て、ラーメンから高級フレンチまでグルメしてしまったりする。不味いものより美味いものを食おうとしたりする。タマゴみたいに満腹なのに、なお食ってしまう輩もおる。

先生曰く、これが「欲望」というものだそうです。そうすっと、女性がすぐ着るわけでもないブランドモノを購入したり、タマゴが読むわけでもない本を買ったりするのも文化的欲望と言えるわけです。(なんだぁ、高級げな話になってきたがな)

ま、こっから先は、文化とは言葉の産物で・・・云々という先生の言語哲学の領域に入っていくので、タマゴには荷が重いわい。(←また、すぐメンドくさがる~)上掲の本をお読みください。実にわかりやすく書いてあります。

先生の主著は『ソシュールの思想』、『ソシュールを読む』(ともに岩波書店)、『文化のフェティシズム』(勁草書房)、『生命と過剰』『ホモ・モルタリス』(河出書房新社)などで、いずれも難しげなことをタマゴなどにもわかりやすく説明された明快な本ばかりです。まぁ、とっかかりとして気軽に読むには現代新書がよいですで。

となると、書くのは必要不可欠な場合のみ、と考え出したタマゴは師の教えに背いとることになるわけですが、実はそうではないだで。

必要不可欠な書きもの、というのは、たとえば書類、ですな。行政機関への申請書とか会社の企画書とか稟議書、労使間の要求書や回答書といったもの。こういうのを好き好んで書く人はあまりおらんわな(稀におったりするけ、びっくりするけど)。メンドくさくて嫌だけども仕方ないけ、書く。

それから伝言メモの類ですね。いつぞやの「タマゴ式ロゼッタストーン」ではないですが、ともかく相手に用件を伝える必要がどーしてもある場合に書く。「葬儀に一犬必要」とか。

あるいは、覚え書的メモ。たとえば、最近、黒のTシャツを着ると「長州小力」に似とると自称するウズラが「小力本願」なんてことをチラと洩らしたので、あ、これはブログのタイトルにええがな、と思ってメモしたりする。(ありゃ、書いちゃったがな)

では、小説とかエッセイとか紀行文とか脚本とか、そーいうのはどーなっだ?ちゅうのはタマゴには荷が重いわい。(←またかい)ブログを例にとりませう。

ブログというのは、ま、なんでもあり、なわけで、こーでないと、どーしてもいけん!ちゅうことはない。もっと言うなら、書いても書かんでも別にどーでもええもんです。(←だらずが~。おまえのブログは「読んでも読まんでも、どーでもええブログ」だがな!)ま、こりゃタマゴブログの場合、ですで。よそには立派なブログがよぉけあるだけ。

で、タマゴがブログを書くときはどんなときか、ちゅうと、これがまた「気が向いたとき」だがな~。まさに「気まぐれ」、なんちゅうエエカゲンだい・・・。しかし、この「気が向いたとき」ちゅうのが大事ですで。

「気が向く」ということは「~したい」と思うということですが、この「~したい」ちゅうのがまた、特段それをせんとドーニモナラン!ニッチモサッチモイカン!というわけでもないのに、したくなっちゃった、ちゅうことですがな。これぞ「文化的欲望」。(お~、高級になってきた)

となると、タマゴは師の教えに背いてはおらんわけですが、タマゴ、以前ほど「欲望」という言葉にコダワリがなくなった。別に「欲求」と言い換えてもええ、と思うようになっただで。

師は生命維持あるいは種族保存を念頭において「本能的欲求」と表現されたわけですが、タマゴはこれを「生存的欲求」と言い換えてもええ、と思っとるわけです。もっと言えば「存在的欲求」。ま、言い換えたけぇって、ことさら新味があるわけではないですけど。

昔、ドイツにマルチン・ハイデガー(フルチン、じゃないで)という人がおんさったそうですけど、この人は、人間というのは「社会内存在」として生きると同時に「世界内存在」として生きる、ちゃなことを言いんさったそうな。

ちっても、タマゴ、ハイデガーちゃなん、知っとらぁせんで。高校時代に今は亡きHK先生がそう教えてかーさったのを丸写ししとるだで。ま、詳しいことは今ではハイデガー研究を専門としとるらしい同級生のIR君に訊かなわからん。夏の同窓会のときにでも教えてもらわーかい。

「社会内存在」とか「世界内存在」ちゃなんで言うと、ごっつい難しげですが、タマゴはごっつい単純に理解しとるです。(だけ、間違っとる可能性大だで。ま、ええだ)

「社会」ちゅうのは、会社であったり、居住する共同体であったりするわけですね。(端的にいえば、ともにムラです)ほかに何でもええですが。ま。日常的に密接しとる。たしかに「社会」なしに生きていくことはできん、かもしらん。ちゅうか、フツー、そん中で生きとる。

「世界」というのは国際社会のことではなくて、言ってみりゃ、或る内的感覚ですか。「宇宙内存在」と言い換えてもええかもしらん。宗教的な法悦感などを想像したらええかもしらんですなぁ。たとえば、恋人と抱きあいつつ「たとえ今、世界が崩壊しても私は幸せよ」(ゲロゲロ)なんて思える人は、その瞬間、「世界内存在」として生きとるんかもしらん。(カンベンしてごせ)

ま、いろんなケースはあるにせよ、大概の人がそう大袈裟でなくても、ふとこういう感覚を抱いたことがあっでしょう。ランナーズハイとはライターズハイといったものを思い浮かべてもええかもしらんですね。ちょっと、カッチョよく言えば、「社会という侠雑物なしに世界(宇宙)とひと筋に繋がる感覚」、ということになりますか。(←おまえ、オウムを宣伝する人だったのかぁ・・・・@荒川良々)

ちっても、こうした「世界との幸福な一致」なんてことは、めったやたらにあるわけではないですけど。しかし、なかには会社の仕事がそのままソレになっとる、という実にコーフクな人たちもいたりするかもしらんですなぁ。(羨ましい)

ま、ともかく。「社会内存在」にせよ「世界内存在」にせよ、そうであろうとするのは、ともに「存在的欲求」でないか!とタマゴは勝手に思っとるわけです。

特段必要もないのに、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりするのも、「世界内存在」であろうとする「存在的欲求」の発露、と言ってもええかもしらんですな。「どーも最近、世界内存在的要素が欠けとるなー」と感じたときに、「~したい」と思うのかもしらん。(もちろん、そげなことをイチイチ考えるわけでないで。そげなこと考えとったら、やっていけんがな!)

ブログを書く、というのも、もしかすると。そーいうもんかもしらんですな。大袈裟にいえば、「存在的欲求」という必要に迫られて書く。(おお、なんちゅう高級な話だいや!しかし、師の教えとだんだんズレてきた)

しかし!タマゴブログに限っては、そげなことではないだで!もっと低級だで。師の言うところの「本能的欲求」に近い。

すなわち、「ダラダラと垂れ流す」。ウ○コみたいなもんだで。タマ母みちゃあに、「ウ○コが出たい」などとウ○コ自体に能動的意志をもたせたりはせんですが、「ブログでも書いてみやーか」と思うときは、ま、「ウ○コがしたい」というときの気持ちとあんまし変わらん。(うーん、ますます師の教えに背いとるような気がしてきた)

いや、違うな。ウ○コの場合は、ドーニモナラン!ニッチモサッチモイカン!ちゅうときが多い。(実際には、タマゴ、トイレ好きだけ、さほどでもなくとも個室に入るだで)ブログの場合はそうでない。ほんに「気まぐれ」だ。(さすがにタマゴも「気まぐれ」でトイレに入ったりはせんで。いや、するか・・・・)「気まぐれ」は欲望の範疇に属すので、ほれ、師の教えには背いとらんでしょうが。

ま、ごちゃごちゃ、なんだかんだ言っても要するに。

タマゴブログはひとりキャアキャア言って気まぐれに垂れ流しとるだけ、ちゅう簡単な結論だで。(←だらずーっ!わしらぁ、おまえのウ○コを読まされとる、いや食わされとるんかい!@SB君)

蛇足ながら、エクリチュール(書く行為)は脱糞行為だけでなく、性行為にも似とりますな。どっちもその気にならな、せん。(これなら亡師にもきっとご満足いただけるでせう)


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桜蘭

なるほど・・・。わかりやすい!!
なんで書くんか=生理的欲求と同じちゅうことやな(*^。^*)
by 桜蘭 (2006-05-07 00:45) 

私も「気まぐれ」で訪ねてきて、すんまっせん…。
最近ブログ巡りさぼりがち…。
by (2006-05-07 08:00) 

okko

何や、易しいこと言うちょるんか、難しいことなんか、よう分からん文章じゃけど、要するに、たまさんのブログは、生理的欲求が起きた時に書くっちゅうことですな。どうりで、時々妙な匂いがすると思ったです。
それにしても、ひとたび欲求が高まると、長いですなあ。う○こも長いほうですか?短く毎日の方が、健康にはいいらしいですで。背後霊は毎日、短く、数回も・・・「マイタンスウ」・・・なんの話じゃ。
by okko (2006-05-07 10:40) 

温泉たまご

桜蘭さん。
言葉のウ○コ、いつも食べてもらってスンマセンです・・・・。
ついでに、変態でスンマセン・・・・。

torichinさん。
いえいえ。タマゴなどダラダラ書くのに疲れきってしまって、ブログ巡りもママナランですけ。(←それはダイヤルアップだから、という即物的理由からではないのか?)

okkoさん。
匂いを嗅ぎ当てられるとは。まるで「もらしとるだらーが!」と詰問するウズラ改めコリッキーのような。
たしかに長いですな。自分でも読み返す気が起きん。そういえば、昔は長電話でエヌテッテーさんにずいぶん貢献したもんですが、あれと同根なのでせうか。
ウ○コはブログと違って短いです。短いけれども回数は多い。タマ母とかち合って互いに「はよ出んかー!」と怒鳴りあうこともしばしば。というわけで、背後霊さんに「おお!タヴァリーシチ!」。
by 温泉たまご (2006-05-07 19:48) 

えいこう

なにやら難しそうですが、言ってることには激しく共感しましたで。
私が小説書くのも、生理的欲求からだ。だから面倒くさいのに、書かずにはおれん。
by えいこう (2006-05-13 00:49) 

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