レンズクリーナー [タマ親行状記]
巷では三連休最終日というのに、寝そべって本を読んでいた昼下がり、珍しくタマ爺が部屋にやってきた。
こういうときはロクなことがない。ただでさえ、本を読んでいる最中にジャマされると機嫌が悪くなるタマゴ、タマ爺の闖入に苛立った。
だいたいこのモンが現れるときは、以下の2パターンに分類される。
①頼みごとがある。
タマ爺のことであるから、もちろん手前勝手な頼みごとである。猫撫で声で「タマゴちゃ~ん、お金貸して~」か「タマゴちゃ~ん、車で○○へ連れてって~」がその代表例。無論、「お金貸して~」は「金、寄越せ、おら!」という意味である。「車で○○へ」は「ついでに市内あちこち、わしの用事のあるところを巡回せ!運転手!」という意味である。
②仏さんを拝む
タマゴのよく居る部屋は仏間というわけではないのだが、仏さんがある。仏壇があるわけではなくて、サイドボードにチョコンと簡便な道具一式が載っているだけである。タマ爺は思いついたようにたま~にご飯を持ってきて拝む。「おばーさん!わしを守ってな!ほかのモンはどーでもええけ!わしだけを守ってな!でないと、ご飯あげんで!」。ちなみにその頻度は3ヶ月から半年に一度くらいであるが、やたらチーン、チーン、チーン!と連打するので喧しい。
国旗掲揚。 [タマ親行状記]
最近、ハタビに国旗を掲げる家が少なくなりましたな。
タマゴのご近所でも、30年ほど前は軒並み国旗が並んどったもんですが、ここ数年、○○さんげが掲げる程度で、ずいぶん寂しくなった。
こんなことでニッポン国はよいのか?!と大日本愛国党員にして主席たるタマゴは慨嘆しきりである。(おっと、これは別ブログにおける詐称、でしたな)
今朝のこと。タマゴの読んでいた新聞を覗きみたタマ爺、
「お~今日は明治節か!」。
さすが昭和ひと桁だ。しかし、そういうことにかけては、日頃から教育勅語を暗唱しとるタマ母も負けとらんはず、と早速試してみた。
タマ爺、傘寿を迎える。 [タマ親行状記]
昨日はタマ爺の誕生日であった。満79歳。数えで80、傘寿ということになるそうな(ウズラ談)
終戦期の栄養失調で床ずれが出来たのにはじまって、タマゴが知る限りでも(というのは、このモンの人生には不明瞭な点が多いからだが)これまでに
①無免許運転の単車で丸太に激突 ②夜道の自転車で田圃に転落、③同じく自転車で急にバックしてきた車に激突、といったほとんどひとり相撲といえる軽度の事故のほか、
④糖尿病、⑤胃ガンによる胃全摘手術、⑥狭心症による心臓のバイパス手術、⑦肺炎で入院、⑧胆嚢炎の手術、と病気の総合商社のような存在であるにも関わらず、ここまで生きとるとは、よほど生命力が強いと見える。タマ母なぞは「なかなか死なんな・・・」と呆れとる。
そのタマ爺に異変があった。
スパネッチ [タマ親行状記]
先日のこと。タマ母がこう言いました。
「今日の昼はなぁ、大丸の地下で食べてきた」
「ほぉ」
「ほれ、あのウドン屋の向かいにある店だがな」
ということは、それは「ピエトロ」である。
しかし、「ピエトロ」などと言ってもタマ母には通じるわけがない。
パスタとかイタリアンなぞと言ってみたところで同じであろー。
そこで、こう言ってみました。
「ああ、あのスパゲッティ屋か?」
「い~や、そうでないで」
そうでない?しばらく行かんうちにあそこは「ピエトロ」でなくなったんか?
とりあえず、少し言い方を変えてみた。
「なんちゅうか、その~、ピザ屋っちゅうか・・・」
しかし、タマ母はきっぱり。
「い~や、違うな」
う~ん、いよいよ「ピエトロ」は移転したのであるか?
「ん~、そんなら、そこで何を喰ってきただいや?」
「あ、スパネッチ」
スパネッチ・・・・つまりスパゲッティ・・・・かい!
だらず!そんなら「ピエトロ」だがな!
なんで、最初の「スパゲッティ屋」のとこで肯定の返事をせんのだ!
ちなみにタマ母、「ピエトロ」で「お好み焼き」を注文した前科があるだで。
どうやら、サンプルケースの「ピザ」を「お好み焼き」と見間違えたらしい。
しかも「お好み焼きを食べよう」と近所の仲良しグループを引率して行ったのだそうな・・・。
天才修理職人、現る! [タマ親行状記]
耳元でユーミンの歌が聞こえたような気がした。
しつこくリフレインしている。
もともとユーミンの歌は好きである。好きではあるが、タイトルとか知らん。
したがって、このリフレインがなんという曲に含まれるのか不明である。
しかし、それにしてもしつこい。リフレインが耳から離れない・・・・。
今朝、タマゴさん(仮名・38歳)はこうして目覚めた。
夢か・・・・。夢のなかでユーミンの曲が鳴っていたのか。
夢の内容はもう忘れていた。タマゴさんは元来忘れっぽい。
しかし、なぜユーミンなのであるか?
好きではあるが、夢で流れるほど好き、というわけではないはずだ。
タマゴさんは寝起きで朦朧とした意識のなか自己分析を開始した。
分析はあっさり終わった。(タマゴさんの分析は単純である)
おそらく、このユーミンの曲は先日の同窓会で流れていたのであろう。
BGMのCDのなかにユーミンが含まれていたはずだ。
そのCDはなぜかタマゴさんの手元にある。
しかし、タマゴさんはわざわざCDを聴いて確かめるつもりはなかった。
確認を必要としないほど同窓会の記憶が濃厚だったわけではない。
すでに10日前の出来事をタマゴさんが覚えているはずがない。
しかも、当日は大勢の話し声でBGMはほとんど聞こえなかったのである。
それなのにCDで確認する気がなかったのは、要するにどうでもよかったのである。
夢のなかで流れていたのがユーミンだろうが、水前寺清子だろうが、マリア・カラスだろうが、
どうでもよかった。 そのとき、タマゴさんはただのタマゴさんではなかったのである。
そう(@天下泰平くん)。タマゴさんは便意を催していたのである。(またか)
タマゴさんは寝床から立ち上がろうとした。
そしてフラフラした。
そう(@天下泰平くん)。朦朧としていたのは意識だけではなかったのである。
視界もまた朦朧としておったのです!
タマゴさんは些か狼狽して、ペロッと顔を撫でてみた。
丸顔である。ほっぺたに肉がつきすぎている。運動が足りんな。
だんご鼻である。この鼻がもうちょっと高かったなら、世界の歴史が変わっとるな。
いや、そーゆーことではなくて。
タマゴさんは愕然とした。あるべきものがない!
そう(@天下泰平くん)。みなさん、おわかりですね。
メガネがなかったのです・・・・・。
ということは!
そう(@天下泰平くん)。メガネは寝床で潰れとりました・・・・。
またやってしまった。
潰れたメガネの傍らには、一冊の本が放り出されている。
昨夜も本を読みながら眠ってしまったらしい。
そして、無残にも片方のレンズがボロッと外れたメガネ。
ネジが緩んで、フレームが口を開けとるがな!
そら、ええデジカメですわ。 [タマ親行状記]
ウズラは通勤のためバス停に向かった。
そこにはすでにタマ父の姿があった。
タマ父は誰かと談笑していた。
誰かさん曰く、
「わし、この前デジカメ買ったですで」。
タマ父、応じて曰く、
「ほぉ~?どこの、ですだいな?」
「○○○(メーカー名)ですけど」
「ほぉ~、そら、ええのを買われましたな~。
わしもそこのデジカメ、2台持っとりますで~。
あそこのカメラはええですわ~。
2台とも壊れて修理に出しましたけどな~」。
このお爺はやっぱし理解できん。
ウズラはつくづくそう思った。
横綱も開放路線 [タマ親行状記]
タマ母さん(仮名・73歳)には悩みがある。それは息子が口うるさいことだ。
スーパーへ一緒に買い物に行けば「そのキャベツは高いから止めとけ!」だの「このホウレン草は買いだ!」だのと、いちいち指図されて、おちおち商品を手にとってみることもできない。挙句の果てに「どうしてもっと値段を吟味せんだ!」と怒鳴られたりもする。
台所でもそうだ。昔は「男子厨房に入らず」と言ったものだが、タマ母さんの家では「男子厨房に入り浸り」である。息子のみならず夫までが鍋をガチャガチャやっている。タマ母さんは本来の食事の支度ができず、いつもイライラしてしまう。
特にひどいのは息子の方だ。勝手にフライパンを振り回すだけでなく、タマ母さんの一挙手一投足に目を光らせて、横からあれこれうるさく言ってくる。息子に言わせれば「指導」なんだそうだが、タマ母さんにはどうしてもそうは思えない。「親の指導は子の務め」が口癖の息子だが、そもそも息子に「指導」するだけの力量などあるはずもないのである。
そのタマ母さんに最近新しい悩みができた。それはエアコンのことである。タマ母さんはたいそうな暑がりである。尋常ではない暑がりである。じっと座っているだけで汗が噴き出してくる暑がりである。ダラダラと汗が滝のように頬を流れる暑がりである。湿疹病みのタマ母さんに夏という季節はツライ。
エアコン改革・開放路線 [タマ親行状記]
久々に自分のブログを開いたタマゴ、です。更新しとらんで、えらいスンマセン。家庭事情に詳しい方のなかには、新聞の片隅に心当たりのある記事が掲載されとらんか、思わず探してしまった人もおんさるかもしらんですな。
「鳥取で母親、息子を刺殺!」とか(大いにありうる)
「鳥取で父親、息子を撲殺!」とか(これも大いにありうる)
「鳥取で妻、夫を悩殺!」とか(ま、これは無い)
「鳥取で温泉たまご、茹で上がる!」とか。(これもアリ、だな)
実際にはこのとーり生きとりますで。のうのうと生きとります。
ちょっとソネブロを覘かんうちに、管理画面の「ようこそ温泉玉子さん」のあたりのデザインが変わっとって驚いた。うーん、世の中は動いておるのですな。そして、ちょっと覘かんうちに、こげなことになっとって、これまた驚いた。
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えらいスンマセン。サボッとる間に12万件でした。暑く、でない熱く、でない、厚く御礼申し上げます。
国民の祝日。 [タマ親行状記]
同窓会ブログ・・・・。うーん。やっぱしヨソのブログは勝手が違って使いづらい。かといって、ソネブロが極めて使いよい、というわけでもないけど。(それはみなさん御存知のとおり)
まぁ、「住めば都」と言いますから。(ということは、「鳥取も都」。)
さて、今月のはじめ頃のことになりますが、タマ母と「国民の祝日」について語りあいました。以前にも書きましたが、タマゴ、「みどりの日」とか「海の日」が苦手なのですね。いつまで経ってもピンと来ん。そのことをタマ母に言ってみると、
「そーだ、そーだ。だいたい休みの名前をコロコロ変えたりするけ、いけんだ」。
珍しく意見が一致しました。これでは記事にもならん。
しかし、おわかりですね?タマ母がこれでおさまるわけがない。
恥覚の現象学 [タマ親行状記]
タマゴは今、切羽詰っとるです。ホントはブログなぞを書いとる場合でないだ。しかし、切羽詰ったときほど、ほかのことをしたくなるという癖はなかなか治らんな。
さて、今回は「知覚」についてのテツガク学的コーサツですど。ちとシンボーして読んでつかいよ。
いつぞや。
深夜、机に向かってボサーッとしとると、時計がチッチッチッチッと時を刻んでいるのに気がついて、ふと考えた。
ふむ、この時計の音はこれまでも絶えず鳴っていて、《私》の耳に入っていたに違いないが、《私》はそれに気づいておらんかったな。
ちゅうことは。感覚していても知覚しとらんかった、ということになるのでないか。時計の音は《私》の身体に働きかけとったけれども、《私》の意識はそれを把握しとらんかっただけ。
となると。知覚していない感覚は、《私》という主体にとって果たして存在することになるのであるか、それとも存在していないのと同じであるか。客観的には、時計の音はたしかに存在するのであるが、こと《私》に関しては、どーゆーことになるんか。
ま、あんましダラズげだけ、すぐに考えるのを止めただで。(そんなら書くないや)
最近。